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2007年11月19日 (月)

放浪Ⅱ

放浪Ⅱ
東京での居候生活は思ったより大変で、最初に訪ねたサーフィン仲間宅は彼女と暮らしてる、いわゆる同棲生活宅に居候を決め込んで押し掛けたのでした。

では、このサーフィン宅をA宅としましょうか。
新宿をさ迷ってからA宅に着いたのが約束をしていた晩の7時頃だったと思います。
A宅は私の到着を心待ちにしてたみたいで、彼女の手料理がテーブルに並び、久々に会う仲間を持てなそうと歓迎の夕食で、知り合った経緯の話しや一緒にサーフィンに行った、千葉の房総半島での思い出、真っ白に覆われて富士山が空に浮いたように見えた茅ヶ崎のの話しで時間の経つのを忘れて語り合ったのでしたが夜中ぐらいから吐き気をもよおし、最初は酔っ払ってるからと思っていたのですが、朝になっても良くならず、夕方になっても体調の悪いままで、A宅に来てから三日目の昼になってるのに体調が快復する気配すらない状態でした。A宅に居ては迷惑になると思い、もう一人の先輩を訪ねる事にして、大きな荷物を待って体調の悪い身体でA宅を出ました。

幸いに、もう一人の先輩(B先輩)は順天堂医大の先生だったのでB先輩宅に行けば治してもらえると思って訪ねたのでした。
訪ねて見ると初めての子供さんが生まれたばかりで奥さんも慌ただしく動き回ってる感じで「まずい!」と思いながらも、この先輩に頼るしかなくて居候を決め込んだのでした。
生まれたばかりの子供さんと一緒に寝てる毎日が一ヶ月以上は続いて、良くなったと思って外出すると、また一週間近く動けなくなるのです。
今、思い出ても原因は分かりません。
B先輩宅に居候して一ヶ月ぐらいでしたか、先輩が点滴を持って帰ってくれまして、(薬はもらってたのでしたが点滴は始めてで)この点滴が効いたのか翌日から良くなりだし、何とか外出も出来るようになり、B先輩に誘われて居酒屋巡りしてアルコールも飲めるようになったのでした。
二人の先輩を訪ね歩き、特にB先輩の奥さんには、とんでもない迷惑を掛けてしまい、大変申し訳ない事しました。
その後すぐに香川に帰って、進む道を探す事にして、自分はやはり香川が合うし香川が好きやと改めて東京で感じる事が出来たのと、二人の先輩には迷惑を掛けたけど、東京での出来事で三本松時代のアカが取れ、ふっ切れたように思いました。
A先輩にもB先輩にも、後からでしたが、お礼を言って、独立した事も報告をしました。

写真は松山「サントリーバー露口」の朝子ママです。松山で一番の歴史の店で、もう少しで50周年になろうかと言う老舗のバーなので、松山に旅をしたなら必ずや寄って下さい。

つづく

放浪

放浪
結果的には一年後の昭和59年3月1日に高松市福田町にて独立を果たす事となり、三本松吾割安を辞める時に考えた「一年後にしてる仕事を一生の仕事にする」の目標通り一生を掛けて行なう仕事も見つけましたし、現実に25年近くが過ぎた現在も同じ飲食業を我行く道と歩み続けてますから、当時の決意がどれほどだったかは想像していただけると思います。
そして、三本松吾割安を昭和58年2月末で辞めて放浪の旅に出ました。
行き先は東京と決めてましたから宇高連絡船から宇野線、そして新幹線と乗り継ぎ東京に入りました。

サーフィンをしてた時に鳴門で出会った奴(すみません2才ほど先輩です)と三本松時代に知り合った先輩の二人を頼って行こうと事前に連絡はしてたのですが、そこは東京、何せ一度だけ行った事があるぐらいで右も左も分からないですし、大都会ですから大変、まず、新宿を目指して電車に乗っても人 人 人で、新宿に着いてからも知ってるのはテレビで見た事のある東口あたりだったので、アルタぐらいまで大きな荷物を持ってウロウロしても、やはり人 人 人の嵐、色々と聞いてはいましたし、自分なりに想像もしてましたが、遥かに想像を超えた人間の多さに驚き、ここで暮らして行けるのかと不安になったのを覚えています。

歩き回ると腹も減っては来ますし、足は疲れはてて動かなくなって来て、休憩と喫茶店を見つけて、コーヒーを頼もうとメニューを見ると、700円ぐらいだったと記憶してるのですが、驚きの値段なんです。
田舎ではコーヒーは150円だったですし、ラーメンも150円でしたから、思わず、注文を止めて店を出ました。
所持金を元に考えても700円のコーヒーは飲めません。
店を出てベンチを探してもベンチなんか見当たりもしません、歩き回ったあげく、たどり着いたのは京王百貨店の地下売り場でした。
美味しそうなイチゴを売ってたので1パック買って、休憩場所など有りませんでしたので、人はいっぱい歩いてましたが、通路の柱の前に荷物を置いて、その荷物に柱に向かって腰掛け、買ってきたイチゴのパックを全部食ったのです。
美味しいのなんの忘れる事の出来ないイチゴの味でした。
柱に向かって座ると不思議に回りの歩いてる、ものすごい数の人達が気にならないのです。
私は今でも、この時の光景は鮮明に覚えていて、同じように、大変な事に巻き込まれたり、窮地に打ち当たった時は向きを変えて座り一服するようにしています。
今回の写真のおじさんは徳島の阿波踊りに行って撮った方です。
徳島の駅前に10月に「ひら井」を出店するにあたり、阿波踊りをもっと知ろうと話しを聞いたり、見に行ったりと阿波踊りの情報を集めました。
にわか阿波踊りファンですが知れば知るほど奥深い祭りだと思ってまして、これからもファンで有り続けようと思ってます。

つづく

2007年11月 3日 (土)

三本松吾割安からの卒業

三本松吾割安からの卒業
思い返して見ても三本松時代は強烈に日々の事が脳裏に焼き付いてます。
自殺しちゃいましたが「ユッキョ」に「トッショ」この二人は私の前に働いてたモトムの仲間で、私が入った頃はモトムの影が店に残っていましたので、中々、打ち解けた話しはできませんでした。
しかし、時がたつに連れ仲間になり、かたい絆が出来上がり、いつも連絡を取り合い、私の青春を一緒に過ごしたのは、まぎれもなくユッキョとトッショです。
若かったですから、話す事と言ったら恋愛に付いてが一番だったのですが、ユッキョだけは別で酒があれば幸せって感じでしたから、一緒に酒を飲む機会が増えてしまい、この頃が私のアルコールとの付き合いの始まりです。
バレンタインなんかは自慢ですが、ダンボール箱が2〜3個は一杯に成るほど毎年チョコレートをもらってましたから、いかにモテたかがお分かり頂けると思いますし、とても幸せな気分になったものです。ちなみにですが、近所の幼稚園の子からおばあちゃんまでチョコを持って来る方は幅広かったですけど!!

三本松時代、心を入れ替えてからは、自分で言うのも変ですが人気者に変身を遂げてました。そんなハチャメチャな毎日を送ってましたが、三本松に行って、もう少しで4年目になりかけた頃に、年齢も23才になってて、真剣に自分の将来を考えるようになり、悩み出したのです。ばあちゃんと爺ちゃんの面倒を見るのは宿命でしたから、満濃に帰って仕事を探すにしても、どのような未来になるか、検討も付きませんでしたし、仕事にしても何を基準にして選んだら良いか、本当に悩みました。

ひとつだけ出してた答えは「三本松吾割安を辞めなければならない」でした。何故なら、当時は夜の仕事で水商売(酒を出してるし、屋台の延長の店)では結婚をするのは、かなり難しい話しでしたからなんです。三本松に行ってから何度か恋愛をしましたが、親に付き合ってるのがバレると、必ず反対をされ、付き合えなくなるのが当たり前でした。
今のように携帯なんか有りませんでしたから、時間を決めて電話をすると、たまに、親が電話口にでたら、私の存在がわかり、「誰か?」を確認されると恋愛終了です。その後は連絡が取れなくなる事が続き、諦めるのが、いつものパターンなんでした。
こんな事が繰り返し起こると弱気に成りますし、夜の仕事を続けるにしても覚悟を決めな駄目やなと思いました。
辞めてからの方向性は決める事が出来てないまま、一年後に辞めようと決心して、親方に報告しました。
辞めるに当たって考えたのは、家族のように大事にされ、この親方のためなら命がけで付いて行けると思ってましたから、一ヶ月や二ヶ月前に辞める事を伝えるのは失礼だと思ったからです!!
辞める話しをしてから半年が過ぎた年末に、一年より少し早くなったのですが「年明けの二月末で辞める」と伝えて、了解をもらい、最後の二ヶ月を思いっきり働きました。楽しかったですよ、ほんと、思い残す事はいっぱい有りましたし不安だらけだったのですが、未来に向かうと言うか!?わくわくする気持の方が勝ってましたから充実してたように思います。

最終日が近づくにつれ、ある考えが浮かんできました、それは、「一年間はゆっくり将来に付いて考えよう」で、一年後の3月1日にやってる仕事を自分の一生の仕事にしようと決意したのです。
結果的に翌年の3月1日に高松で「吾割安」を開店しましたから、結果オーライですよね。
写真は今の車の前に乗ってたベンツのステーションワゴンC‐230のメーターパネルで走行が20万kmになった瞬間です。私が16万kmまで乗ってから部下にお願いして乗ってもらってまして、このベンツも、ここまで走行すれば本望だとは思いませんか!!
まだまだ丈夫なので乗り続けるそうです。
やりますな〜
                                      つづく

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