
昭和58年の2月末に三本松吾割安を辞めて、放浪に出てから2ヶ月少々で満濃町(現まんのう町)に帰ってブラブラしてるところに、フェアレディSR311って言う車を通じて知り合った先輩から連絡がありました。「JAZZ喫茶ジャンゴ」を開くから手伝ってくれと言う誘いを受け、仕事も見つかってなかったので引き受ける事にしました。この事が、それからの自分の人生を大きく変える事になったのです!
この店では、朝の7時ぐらいから夜の12時まで働いたこともありました。お客様が一人も来なかった日も時々あって、結局、翌年(昭和59年)の1月末で閉店しましたので、7ヶ月ぐらいしか営業はしてませでしたが、結婚相手もこの店で知り合いましたし、三本松吾割安では、お客様が途切れた事などなかったので、お客様の大切さも学びましたから、今の私が存在するのも「ジャンゴ」があったからだと思います。
59年の1月末で「ジャンゴ」が無くなり、仕事を探さなくてはと思ってたら、よく行ってた「Barどん底」の辻さんと横田さんから「話しがあるから来い」と言われ、行って話しを聞いてみると「お前の持っている、三本松吾割安時代の経験と能力を出せば、高松には吾割安のような店が無いから、必ず成功するので店舗を探して、開店資金は満濃に帰って農協にでも頼め」って言われたのです!
その話しを聞いた瞬間に、単純ですから「ヨシ、やろう」と決めたのでした。
翌日から不動産屋に行き、物件探しをさながら、満濃町の協栄農協に友達を頼って融資の申し込みに行ったりと人が変わったように走り回ったのでした。しかし、世の中はそんなに甘くなくて農協からは「平井さんとこには農機具代とか、かなり貸してますので融資は無理です」と断られるし、何せ、金が無いのに店を出そうとしてるのですから良い物件はありません。
手持ちの預金は4万円しかありませんでしたし、爺ちゃんや婆ちゃんが金を持ってる訳ありませから、頼めるのは友達だけでした。
直ぐに友達に連絡して「店を出そうと思うので金を貸してくれ」と頼むと50万だったら明日にでも取りに来いと返事をもらい、これで、当座の見せ金は出来たと勇気百倍で、物件探しに全力を注ぎました。
当初の出て来た物件は割烹とかうどん屋の閉めたものばかりで、ピンと来ませんでしたから不動産屋に喫茶店の閉めた物件な無いのと尋ねると、ぴったりの物件が出て来たのです! 広さは12坪で家賃は9万円と手頃な金額でしたし、何より、飲み屋街の外れという立地が素晴らしいと思い、即、手付金を入れて、それからは、中古の厨房器具を探し回り、内装の準備に取り掛かりました。
当時の友達に大工さんが居てたので、内装工事を頼みましたがエアコンなどは資金が無いので取り付けず、時期的にも冬から春に向かう3月頃がオープンになるだろうから、エアコンが必要になるのも大分先なので、その時期まで営業出来てたら儲かってるだろうと考えたのでした。ハッハッハ〜
資金は50万円では足らないので、他の友達にも頼んで結局300万円を集めましたから、今考えてもたいしたものです!それと、借りた資金の返済用に、あと数人の友達に金を借りる約束を取り付けてましたから準備万端でした。
自分で貯金してた金は東京の放浪で使い切ってましたから友達に頼っての独立でしたが、よくお金を貸してくれる友達が居てくれたもんです。
それと独立には、もう一つの目的があったのです。
三本松吾割安時代は恋愛しても、夜の仕事(水商売)と言うだけで、親に反対されて、失恋ばかりでした。今のように携帯電話がある訳じゃ有りませから、夜、相手の家に電話をすると、お父さんが出たら終わりで、数週間後には仲がおかしくなり、その後は連絡が取れ無くなり失恋です! 一度なんかは、仕事が手に付かなくなり、親方に頼んで旅に出ようとしたこともありました。
だから、現在のような株式会社にしようと考えたのは、こんな出来事や経験があったからです!
「ジャンゴ」で知り合った彼女と結婚するには経営者と言う信用が欲しかったのでした。
独立して繁盛させれば信用が出来るし、子供の頃から家族が少なかったので、自分で家族が作れると考えました。
そんな事も考えながら、準備もほぼ出来上がり、店名も「どん底」の先輩達に言われて独立しようと思ったのだから、どん底の反対で「ど天井」と決めて、三本松吾割安の親方の所に報告に行ったのです。
報告に行く途中で偶然に、現在我社の役員で私の良き友の松本実(当時20才)に遭遇して、店を出す話しをしたら「僕を使ってください」と言うので即OKで、スタッフまで整い、後は親方に報告です。
自宅に行き独立の話しをして、店名も伝えると、そんな名前は分からん、「吾割安」を名乗れと言うじゃありませんか、ビックリです!
まさか、吾割安の屋号で独立出来るなんて思ってもなかったのですから、最高です。
もう一度、吾割安で働けるなんて夢のようでした。
屋号も決まり、スタッフも出来て、満濃で爺ちゃんに準備の経過などを説明したら、オープン日は3月1日が良いと言われて、またビックリ! 一年前に来年の3月1日にしてる仕事を一生の仕事にしようと決めてましたから、不思議な運命を感じたのでした。
そして、昭和59年3月1日が来たのです。
今回の写真は広島県尾道に有る「一口(ひとくち)」です。串カツ屋で、カウンターに12〜3席があるだけの小さな店ですけど味は絶品で美味しいと言うのは、この味やなと思う店です。
尾道で「一口」と言えば誰でも知ってますから一度訪ねてください。
では、また次回。
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